北極茶釜(再度に逃亡w)

西洋史エッセイ、コントと寓話、時事問題など

今度は「ダークソウル3」の動画なぞをボチボチ閲覧中(3)

ダクソのことでの書き足しになります。

作中の「薪の王」がオーディンの苦行ではないかなどという話しは先に書きましたけれど、その手の苦行・難行は形こそ違えどもヘラクレスなどでも同じことでしょう。そして「自分を犠牲にする神」の代表格はやっぱりイエス・キリストですよね。

・・・・完全な自由意志によるそういった行為は自ら(主体的に負担を引き受けて)第一の動因となることなわけで、まさしく神々しい行為と呼ぶにふさわしい。そしてそれを真似る人間は「英雄」や「聖者」なわけですよ。

ダークソウルの物語では最初(パート1)の薪の王は主神・世界の王だった(らしい)わけですけれども、それを継承したのはそのほかの巨人・魔女や人間という設定です。ダクソ3もまた例外ではなく、冒険の末に薪の王になる(つまり一連の苦行の完成によって神を模倣・追従する資格を得たということ)というのが結末の一つ(ただし選択肢によって複数のエンディングがあるらしい)となっています。

これも(先の記事で書いた「光と闇」≒人間的な世界と不毛な唯物論の対立と苦悩のような)昔から変わらない、普遍的な崇高さや価値観を指し示しているわけで、そういった面へのファン・プレイヤーによる無自覚的な共感が「名作」という評価を生む一因なのかもしれません(話が難解すぎて入り込みづらいという見方もあるようですがw)。

 

そういえば。

いや、やめましょう。もはや語るに落ちる(苦笑)。