北極茶釜:狸沼(たぬま)のブログ

日記・時事問題、自作小説(R指定?)。/「もえるあじあ」「保守速報」や「余命~」とかをよく見てますw

観念論と自由(シェリングの序論から)前

ちょっとシェリングの薄い本なぞパラパラやっているので(所謂同じ「薄い本」でもこちらは残念ながら論理パズルみたいなものだがw)、そのことでの趣味的なメモになる(以前に流し読んで放置していたもの)。

……自分なりにかなり大雑把に理解した理解やあらましを、解釈まじえて(全四章のうち第一章の「序論」数十ページのみ)。シェリングは近代のドイツ観念論の哲学者で(ヘーゲルと同時代人)、カントの後継者の一人として知られる。
まず、タイトルの「人間的自由の本質」というところからして、日本人の感覚で素直に受けとると、それだけで訳がわからなくなるだろう。ここで言う「自由」とは、キリスト教的な「(人間の)善悪の選択能力」のことで、実に古き良きドイツ人らしい発想。


序論はスピノザの汎神論(とされる)哲学への批判から始まる。
とはいえ、(自分は)スピノザはよく知らないが、デカルトの同時代人で(デカルトの)解説書も書いたらしい。彼はユダヤ教徒家系だったが、あまりに斬新な哲学(世界観)を顕したため、破門追放の憂き目にあっている(当時はよくあったことで、デカルトなどもキリスト教会からの叱責を嫌って、思想的に寛容無法地帯?のオランダに逃げ込んでいたはず)。しかしゲーテ(ドイツ最大の文豪)が「ドイツ人はスピノザ主義(汎神論)者」という言葉を残していたはずで、ドイツ人たちにとっては民族の伝統気質にあって人気があったのかもしれない。
……で、シェリングは「全ては神の変容」と説くのは無理があると言う
なぜなら「原因(創造者、神)と結果(被造物、人間や世界)は明らかに別物である」から。例えば私が安いプラモデルや粘土細工でもつくったとして、私は「プラモデルや粘土細工と同じ存在」か?
また、スピノザは「汎神論」とは呼ばれるが、実質は「実在論」に近いのでないかとも指摘する(物質的な実在をメインに考える、一番極端なのが唯物論)。

そして最大の批判点はスピノザの「宿命論」(なるようにしかならない)的な考え方で、無気力と安易な諦感の正当化にもなりうるからだ。「全部神様のせい(世界も人間も全て唯一神の妄想と生理反応、的な)」ということでは万事お手上げであるから。同時に「(極端な)機械論」が批判されるのも同じ理由で、「世界は巨大なカラクリ人形劇場、みんな操られて踊っているだけ」ではどうしようもない。

 

そしてシェリングはそこから近代的に再解釈や再構築した神学、理論化された宗教や信仰の一つの観念モデルを論じだすようだ。
彼は「悪」の存在について語り始めるのだが、「罪や悪(悪魔)」の存在はキリスト教哲学にとって難題である。なぜならば「神様が全知全能ならば、どうして罪や悪があるのか?」「悪魔が存在することは可能か?」というのは、「人間に自由意志はあるか?(何もかも宿命ではないのか?)」と同じくらい古い哲学上の難題なのだから。
目次を見る限り、第二三章が「悪」で、最後の第四章が「神の愛」となっている。もっとも私はまだ理解していないが(放擲か?w)。