歓談しつつ、猫殿は客のヘル急便(犬)にキャットフードなど勧める。
「キャットフードって美味しいですよね。猫用だからいつも食べるのは無理でも、たまに食べると「おおっ」てなります」
「せやろ? 猫は味オンチな犬とは一味違うわ」
するとヘル急便が言う。
「ただ、自分等(犬)は(猫より)食べる量が多いので、味より量と食感が優先なんですよね。あと、噛みごたえが」
猫殿が歴史を紐解いた。
「たしか織田信長が、同じ料理でも薄味で上品な公家用はボロクソにけなしたくせに、味を濃くして食べごたえボリューミーにしたら、絶賛したとか、アレやろ?」
それからヘル急便は返礼に犬用ガムを一欠片ほどすすめてみる。
「どうぞ。デザートに」
「か、固いにゃ!」
「ですが、犬的にはそれが至福なんですよね」
たとえ仲が良くても「お互いに違っている」のが当たり前。本質的平等とは「まったく同じ」ということではない。つまり日本人と在日外国人(あるいは男女とかでも)を「まったく同じ」にしようとしたら失敗するに決まっている。だから必要なのは「適切な差別の賢明な匙加減」である。
* * *
一案として、反日外国人を減らす意味もかねて、在日外国人の子供に(七五三の機会に)近くの神社からハガキや封筒で簡単な「お守りやお札」(ミニ破魔矢とか)でもプレゼントしてみるとか。神社庁が管轄し、総指揮は天皇か上皇陛下とかで訓戒・お見舞い文でもつけるとか。
大人に関しては自己責任としても、子供に関してだけでも多少なりとも気にかければ、帰化するにせよ帰国する(させる)にせよ、日本の友人になりうるはず。
もちろん際限なしにとはいかないから、「適度に差別しながら配慮はする」ような案配が適切。しょせん「(日本人と)全く同じ」ではないのだから、そのことを理解して弁えるようにさせ、その上で身の処し方を判断できるようにする。
たとえば子供の予防接種はサービスするが、健康保険は別にするとか。小中学校の義務教育は公立学校受けさせるが、高校教育以上は自国で(帰って)受けるか日本の私立高校や通信制のどちらかを選ばせるとか。
また、帰国する(させる)在日外国人(出稼ぎなどの長期滞在や二世)が、帰国後に生活に困らない中流以上の立場になるように日本滞在中から配慮や、帰国事や後に援護とサポートすることが望ましいだろう。