北極茶釜(再度に逃亡w)

西洋史エッセイ、コントと寓話、時事問題など

軍人皇帝時代のローマ帝国変容、過渡期の先駆者?ディオクレティアヌスの事例

またしてもローマ帝国についての考察の続き、黄金期を過ぎてからどうなったかという話。ちくま文庫ギボンの第二巻の前半などを参照のこと、ただし最近は急に古本屋でギボン(ちくま学芸文庫で全十巻)を見かけなくなった(ごく一部しか読んでいない)。

ローマとイタリア本国が役に立たなくなるにつれ、次第に万事が属州の軍隊(蛮族が多い)頼みになってくる。もはや自前の有能な皇帝を出すことも困難になり、有能な軍司令官に元老院が承認を与えているだけになってくる(内戦と反乱と外敵の不穏と混乱)。しかしそれでも「ローマ帝国」の意識は残っており、軍隊側にもまだいくらかの秩序や忠誠は残っていた。軍人出身の英雄皇帝も輩出し、一時は元老院から歴史家タキトゥスの末裔が即位したこともあった。
なお、ローマ皇帝は摂政関白の統治や幕府の将軍みたいな面があり元老院は朝廷に似ていなくもない。


そしてディオクレティアヌス。日本で言えば豊臣秀吉みたいな出身で、比較的にイタリアに近い場所の解放奴隷の子(それまでにも農民出身の軍司令官が即位して活躍した事例あり)。
振る舞いを見ればわかる通り、賢明有能で少なくとも「良かれ」という意図はあったのだろう。信頼できる部下三人を同僚皇帝にして指揮し、ひとまずは帝国を安定させ(負担と権力を四人で分担する新システムを考案)、さらには自ら早期引退することで新しい安定した統治と継承のシステムを根づかせようとした。しかし引退した途端に元部下の皇帝たちが争い始め、あわや元の木阿弥に帰すところだったようだ。
悲しいかな、たとえ立派な人物であっても基本が「軍人の頭」でローマ皇帝の軍指導者や君主的な側面しか理解しておらず、また時代的にも古い共和制的元首のシステムがついに限界だったのだと思われる(元老院を無視して、それまで建前に隠れていた軍政や君主制を強化してあからさまにした?)。なにしろその頃にはもはや元老院がまるで役に立たないため(本国イタリアもダメダメである)、分業した複数皇帝の担当エリアで実質的な副都(?)を設置(しかし必要経費も増大しすぎたし流石に四人の皇帝は多すぎた)、最終的には次世代のコンスタンティヌス大帝の東方遷都とその後の東西ローマ分裂の端緒となった(?)ようだ。まさしく歴史の変わり目でローマ帝国変容の境目でもあったのだろう。


このディオクレティアヌス閣下を見て思うことは三つある。まず第一には過渡期変革期の先駆者と指導者の苦悩。
第二にはまともな文官がいないと、軍人だけではどうにもならないということ。たとえば五賢帝ハドリアヌスにはアントニヌスピウス(次期皇帝になる前)がいて、自分が辺境をパトロールして防衛強化している間、内政はピウス君がちゃんとやってくれた。哲人皇帝アウレリウスが(アジア的な独裁化を嫌い)同僚皇帝を選んだこともあり、ディオクレティアヌスとしては単にアジア風の独裁君主ではない「ローマ的な分業体制」を目指したのだろうが、彼が選んだ三人は軍人ばかり。もしも信頼できる文官タイプの誰かを共同皇帝に選んでいれば、また違ったのではないかというふうにも思う(政府肥大による租税負担の過度の増大や社会困窮の更なる?悪化など、防衛や反乱鎮圧の軍事には強くても内政は苦手だった印象を受ける)。

彼の場合には哲人皇帝アウレリウス(過去)やコンスタンティヌス大帝(次期継承者)のように学問があったわけでもなく、叩き上げ軍人・元下層民の素朴な善意でどうにか頑張ったが、ある種の限界があったという弁護もできるだろう。たとえ直後の時代にコンスタンティヌスが採用してヨーロッパの新しい精神的主柱になることになるキリスト教に冷淡で否定的だったとしても、当時のキリスト教がまだ隠者の教えや閉鎖的な集団の初期的な未開化段階だったことを考えれば、あながち責められないとも思う(のちのキリスト教騎士道に似た、ストア哲学を修めたアウレリウスですら否定的な見方をしているくらいであるから)。

第三には美徳の不幸。わざわざ早期引退までして強大至高の権力を手放したのだから、策略の頭脳こそはあっても私利私欲より本気でローマ帝国世界の再建と未来を考え、謙虚廉潔なくらいの人柄でもあったのだろう。たしかに皇帝の儀礼をアジア君主化したとはいえ、それは政治制度システム上に必要なハッタリと装飾の意味でもある。また引退後の城塞じみた別荘を作ったとはいえ、少し金持ちの元老院議員なら豪華な別荘を持っていて普通で、特別に贅沢したとは全くいえない(庭でキャベツを栽培して満足し、同時引退した同僚皇帝の復位の希望や要求をたしなめるなど、立場からすれば質素で欲がなかった?)。娘を部下の皇帝の一人に嫁がせていたのが(権威として利用されるのを危険視されたのだろうが)迫害され殺されるなどの不幸もあったようだ。


どうやらキリスト教に冷たかったので欧米ではあまり人気がないようだが、哲人皇帝アウレリウスと同様に日本人好みの悲壮な英雄的指導者ではあると思われる。