北極茶釜/陸戦型たぬきそば

西洋史エッセイ、コントと寓話、時事問題など

中近世の美術と歴史の概略

「中近世の美術と歴史の概略」

1
 中世の絵画は平面的だと書いたけれども、簡素な(リアル志向でない)漫画の絵を考えればわかりやすいだろう。壁画や写本など、インターネットで検索すれば幾らでも見つかるはずである。
 当時の美術は教会美術で、社会の結束や鼓舞のための共同的なものが多かったようだ。一つには信仰心と宗教的なメンタリティ(今のイスラム教徒と同様、一日に何度もお祈りをするのが当たり前)、それに個人で絵画や建築を楽しめるような者も少なかったから、教会や宗教以外では商売として成り立たなかっただろう。


2
 それゆえに教会は建物自体や内部の彫刻なども含めて、中世美術の精華となる。
 初期の教会はロマネスク様式という、古代ローマの会堂(バシリカ?)をもとにしたものだったようだが、中世盛期には手の込んだゴシック様式が発達してくる。
 またゴシックはドイツやフランスの「森林」のイメージが反映されているとされ(ゴシック=蛮族ゴート人風)、イタリアではあまり発達しなかったようだ(イタリアは周囲が海で水平線である)。当時のヨーロッパは「シュワルツバルト(黒い森)」の地名が示すとおり、森林地帯であった(だから狼が脅威となる)。開拓が進むのは中近世以降の時代らしい。
 その後にイタリアでルネサンス様式が現れる。理知的で幾何学的なのは、古代ギリシア文化が見直されていた影響なのだろうか(均整の取れた調和が良しとされたため)。ただしその後(近世)に、よりダイナミックに動的なバロック様式が現れてヨーロッパの王侯貴族などにも好まれたようで、現在のイタリアはバロックの影響が強く残っているらしい。


3
 記憶が正しければ、ルネサンス様式はフランスのベルサイユ宮殿などにも影響を与えているらしい。その頃からフランスはヨーロッパ内では早く発達した大国だったようで、レオナルド・ダ・ビンチもフランスのフォンテーヌブロー宮殿に招かれて滞在中に死去している(「モナリザ」がフランスにある理由)。
 中世フランスは肉屋の息子のユーグ・カペーに始まる三つの王朝(親戚繋がりではあるが)が興亡する。ユーグ・カペーは肉屋の息子らしいが、肉食文化のヨーロッパでは肉屋の地位は案外に高い(郵便業者を請け負うこともあったとか)。フランスは中央集権でまとまることにも成功して最後は絶対王政にまでなったが、王制が民主制になっても行政などの近代的な統治システムは中近世の遺産を引き継いだのでないだろうか(一方ドイツでは諸侯が乱立割拠しながら、どうにか皇帝を中心にまとまっていた)。


4
 その頃のイギリス国王は(外交や軍事に便利なためか)フランスから借りた領地の別荘にいることが多かったようだ。第三次十字軍のリチャード獅子心王はイギリス国王とフランスの大諸侯を兼ねていた(ヨーロッパでは爵位が土地と結びついており、臣従関係も日本ほど絶対的で無条件ではなく、商取引の契約に似た柔軟なところがある)。
 それでイギリスでは自治のために議会制度が発達しており、議会側がフランス側の土地を放棄して本土に戻って常駐した王様(リチャードの弟のジョン)に、イギリスの内政の慣例をわかるように説明したのが大憲章(マグナカルタ)であるとも聞く(必ずしも市民革命の端緒としてのみ見るのは間違いで、それ以前の経過や文化が反映している)。
 イギリスでは日本の幕府ではないが、国民(の有力者階級)自治世襲の最高元首(王様や天皇)が共存両立する政治文化が元からあったのであって、だから現代まで王制や天皇制が「君臨すれども統治せず」で生き残ったのは道理である。


5
 日本やイギリスとは逆に、絶対王政による独裁傾向のフランスやロシアでは、民主主義をやるためには王様や皇帝を処刑するしかなかった(両立する文化や伝統的なノウハウがない)。
 日本の天皇を古いタイプのアジア的な独裁君主と考えるのは間違いで、摂関政治以降の幕府による(国民代表による)代理統治の伝統がある。明治帝政ですら憲法がある立憲君主だったし、「大臣による輔弼責任」があったわけで、アジア的な独裁者とは基本的に異なっている。


6
 また日本やヨーロッパでは封建制であったため、自分の領地経営に代々に責任を持つ文化がある。中国や韓国の場合には中央から派遣された役人であったため、後のことなど考えずに収奪しまくった。しかも中国の場合には何度もモンゴルなどに征服されて異民族支配されたため、民族同胞の秘密結社や互助会の文化が発達したようだ(日本人以上に、彼らが世界のどこでも中国人同士で結束して徒党を組むゆえんである)。コリアンの場合には地政学的に中国側の強者に迎合しないと生きていけないので「事大主義」(強者に迎合する)が伝統であり、理不尽なまでの収奪と弾圧と生存競争で酷薄姑息卑怯でないと生きられないのであの民族性になったのだというのはよく知られた話だろう。
 国や民族が経験してきた歴史的なプロセスの事情というのは、かくも後世にまで影響を残すのでないだろうか。