北極茶釜/陸戦型たぬきそば

西洋史エッセイ、コントと寓話、時事問題など

像法の寓話

 これはインドの仏教の話だが、仏陀の死後に徐々に力が衰えていくという考え方があるそうだ。記憶が曖昧なので詳細や用語が間違っているかもしれないが。
 過去に理想を投影するアジア的な歴史の見方ではあるものの、一面では寓話として面白いと思うので参考までに。

 まず仏陀の死後五百年くらいの「正法」の時代には教えと創業の余光の威力が残っており、修行すれば悟りを開いて解脱することができる。
 次いで「像法」の時代には一応はそれなりに正しい教えが残っており、どうにか修行で功徳を積むことは出来るが、悟りを開くことまでは出来ない。
 最後に末法の時代には教えも劣化して役に立たず、皆が修行を諦めていく壊滅状態になる。


 思うに、中国韓国が「末法」の有様であることは一見してわかるだろう。しかし日本も「像法の瀬戸際」なのではないだろうか?

 何しろ自分なども修行に失敗してサボっていたために、かえって洗脳やロボトミー化を免れた一面があるとは思うが、残念ながら理想的・模範的な日本人とは言い難い。これがもしも(大学院に進んで学者の世界に入ったり、マスコミや文化業界で)プロ知識人や業界人になっていたら、歪んだ反日左翼思想で洗脳されるか妥協日和するか(あるいは適応に失敗して排除されるか)だったはず。
 自分なりに多少なりとも自学自習していた効果(功徳)が全くゼロだったわけでもない(それによって護国問題に関しては、ある程度までは正しい判断が出来たと思う)。訓練自体が不十分で修行に失敗しているから、バランス感覚と引き換えに、知識層や教養層としての実力にも多分に疑問符がつく(それが自分をその方面での「ボーダーライン的な一例」と言える理由で、良く言っても「有意義な試作品」止まりw)。
 それに他の日本人の「普通でまっとうに頑張っている」はずの人たちにしたところで、(それなりには誠実勤勉で経済繁栄し、形の上では学歴や教育が普及していたにも関わらず)一面ではロボトミーされた(優良な?)羊や豚のようなもので、それで日本と日本人は亡国危機がこの二十年も続いている。これも「功徳はあっても悟りに届かない」という不完全さ、時期時代の歪みと偏りの表れではないかと思われる。
 ゆえに「今の日本は像法の時代」というのであって、このまま末法の完全破滅にまで突き進むか、それとも中興リヴァイバルで持ち直すかの瀬戸際状態だと思う。